東京の台東区は数多くの有名人の眠っている所だが、鉄舟の墓は全生庵。三舟のうちもう一人橋泥舟も同じ台東区の大雄寺。勝海舟だけが大田区は手洗地畔の御松庵に眠る。友人のS君が海舟の描いた絵に鉄舟と泥舟が字を添えたという額を持っていた。しかしどうも不鮮明? S君の母親がホコリがかぶっていて汚いからと雑巾でふいたので変な物になってしまったという。
ある日、世田谷の区民会館で無料でお宝を鑑定してくれたことがあり、S君も恐る恐る持参したところ、くだんの鑑定師、首をひねりながら何かこの絵は変だなあとつぶやく。そこでS君、実はオフクロが雑巾を……と言うと、その鑑定師バカデカイ声で「ウーン、無智ほど恐ろしいものはない」。他の十人ほどいた人は笑う。本人はまっ赤になって額を受け取り早々に逃げ帰ったそうな。
鉄舟が勝安芳に頼まれて西郷隆盛を説得し、徳川家を救う道として江戸城の開城をあっせんしたのは有名なハナシ。
鉄舟の逸話は沢山ある。
明治天皇の側近となった時、天皇から相手せよと相撲を取ったとか(しかしこれは嘘っぽいネ)。
賞勲局から呼び出しがあってもそんなのいらんと出向かない。すると井上馨が勅使としてやって来て、勲三等の勲記と従四位の位記を持ってきた。鉄舟は見たから持って帰れと言う。井上は冗談じゃない、小僧の使いじゃないぞと気色ばむ。すると鉄舟は「小僧の使いではないか 」とタンカ。井上はこのままでは収まらぬとつめ寄った。そこで鉄舟、「お前の懸けてるのはそりゃ何等か?」「ウン、これは一等だ」「ホウ、お前のが一等でワシが三等か、馬鹿も休み休み言え」「ナヌ 」「明治の泰平を成したのは西郷ドンとワシじゃ、お前などフンドシ担ぎではないか。帰れ帰れ」と追い帰してしまった。
イヨー鉄ちゃんイカしてるぜ。
その時井上がそんな強がりを言って食うに困らんかと言ったのを、結構気だらけ猫灰だらけと大みえきって大貧乏生活に甘んじ、化物屋敷といわれた住居にボロ布団にくるまって寝ていた。
剣は名人達人の浅利叉七郎、千葉周に学んだし、自ら開いた道場にも沢山の門人が集った。他人の弱点を突くな、人を殺すな……が生涯の自戒で、無双の使い手の鉄舟は虫一匹殺さなかったというから立派。最近の十七、八のガキは訳も分らず殺したがる。鉄舟の墓にでもお参りして少しはリコウになれバカ !!
この全生庵には鉄舟と落語の三遊亭円朝の墓がある。何か関係が? 大いにあって、鉄舟が円朝を呼んで話を聞くと、お前の話は心でなく舌の先でシャベってるから人物が死んでると厳しく言った。円朝恐れ入って禅の修業をしたとか。そして鉄舟死の床にあった時に円朝を呼んで、何ぞ面白い咄をしてくれと頼んだ。終るとありがとうよと言った翌日、あの世へ旅立った。鉄舟さんと円朝さんの写真を撮った日に東京ドームでゲームを観たら、何と延長戦。