2014/06/09
漫才の人気コンビ以上に人気のあったあのきんさんとぎんさん。その成田きんさんが平成12年(2000)1月23日に107歳の生涯を終えたが、蟹江ぎんさんは平成13年(2001)2月28日に108歳で姉の後を追った。ぎんさんは2001年という新しい世紀まで頑張って、きんさんが成し得なかった19、20、21世紀という3世紀をまたいでの大往生であった。
ぎんさん(もちろんきんさんも)が生まれたのが1825年(明治25)、芥川龍之介と同じ日にこの世にお目見え。翌年にエジソンが活動写真を発案し、29年に第一回オリンピックがアテネで開催されたってんだから古いの何の。1913年(大正二)に蟹江国次郎さんと見合い結婚をして五人の娘を出産。フツーのおばあちゃんから一躍スター並みの人気となったのは、百歳のお祝いに名古屋市長が表敬訪問しTVでその模様が紹介されるやソレ行けとCMに登場。新聞、雑誌、ラジオがあおり立てたちまちきん・ぎんブーム。カレンダーからキーホルダー。人形にテレカお菓子。アッチコッチからお声がかかり、お礼や出演料がガバッ 「沢山お金が入ってソレどうなさいますか?」「ハイ、老後の蓄えにします」と、お笑いのネタになったりした。
また、二人がシャべると本物の漫才以上に面白かった。宮沢りえが写真集でオールヌードをご披露すると、ぎん「目玉が飛び出るくれえビックリしたがね」。きん「わしらの時代には女子が肌を見せるなんて事せんだったわな」。ぎん「オッパイ見せるのはお医者サンの前だけ。それでも死ぬほど恥ずかしかったわ」。ちなみに宮沢りえのヌード写真集を見たボクは死ぬほどうれしかったのであります。
二人の残した数々の名言をご紹介。
ぎん「地獄、極楽はこの世にあるよ。それはにゃあみんな自分がつくっとる…」。イヤ、恐れ入る、まるで偉いお坊サンのおっしゃりようだ。きん「悲しい事は考えん方がええ、楽しい事を夢見ることだよ」。ご尤も。さすれば殺人事件や戦争は起こるまいに。ぎん「自分でできる事は全部せにゃいかん。甘えちゃいかんよ。時には人の言う事を聞かん方がボケせんでいいと違うか」。全くその通りですとも、さらにぎんさん「グチや不満を腹にためん事。パーパー言って発散せにゃいかん」。とまるで田中真紀子サンにエールを送っているよう。
貧農の家に生まれ、5歳頃から二人は畑や田圃へ肥桶かついで野良仕事。そしてリューマチで苦しむ母を助けて家事をし苦労ばかりの人生であった。それが超長寿のお陰で、双子のそれもきん・ぎんの立派なネーミングのお陰で大輪の花が咲いた。きんさん、ぎんさんのお陰で年寄りの基準が変わった。80代はお二人の子。60代はお二人の孫。してみりゃこのうれしサンは立派な孫、これからが青春。
名古屋市鳴海町のぎんさんの墓地を訪れたら、入り口の木札に「村営墓地」とあった。「昔の名前で出ています」。