2014/06/09
「オメデトウございまーす!! いつもより余計に廻ってまーす!!」
顔からこぼれ落ちそうなデッカイ目玉。そして人より目立つあの歯。そうあの大神楽曲芸師の海老一染太郎サンの陽気な声と、弟染之助の兄弟コンビは正にお正月の顔であった。
1932年(昭和7年)に東京・新宿で誕生した染太郎サンは芸能一家に生まれた。浪曲、落語、曲芸などの修業はメチャ厳しい。寒中でも外でバチをくわえ、マリをまわしナイフを投げる。辛い修業を積んで46年に新宿末広亭で初舞台を踏んだ。舞台でシャレを云って笑わせるのは兄の染太郎。弟の染之助は大汗かきながらドビンをくわえたバチの上でまわしたり空中に放ってそのツルをバチに通してみせたり。すると兄の染太郎は「アッ危ない! 胸がドビンドビンします」てな事を云って笑わせる。
だから普段も冗談が通じるかってえとこれが大違い。ある日、かつて有楽町にあった東宝名人会の楽屋で、先に出演の終わった声帯模写の鯉川のぼるが帰りがけに、「デバお先に!」と云ったとたん、弟の染之助が「無礼者、貴様今何と云った、謝れ 」と烈火の如く怒った。これには楽屋中シーンとなり、当の鯉川は軽い冗談のつもりがおお事になってただオロオロ。その時いつもより余計に怒ってまーすって云やよかったじゃねえかと云うと、「あのシラーッとした中でそれが云えたら凄かったろうな、あれから俺海老が大嫌いになってね」。
一般人の方と違って芸能界には業界用語なるものがあって、1・2・3といった数字をツェー・デー・イー・エフ・ゲーと云ったりする。だから1万円をツェーマン。5万はゲーマン。つまりギャラを決めたりする時に使う。ところが映画、TV、音楽関係と違って演芸の方はヘイ(1)、ビキ(2)、ヤマ(3)、ササキ(4)と云ったりするが、さらに曲芸の世界にはここだけしか通じないイン語があって、シコメル(盗む)、コザエモン(女房)、ハバ(女)、アマガリ(お乳)、テヘ(大きい)、コキ(小さい)、イシヅキ(お尻あるいは後ろ)。会話の中でイシヅキのハバ、アマガリがテヘだなと云えば、後ろにいる女オッパイがデカイとなる。まるでヒト様には分からないので覚えたらこれ以上便利なものはないね。
西武新宿線の新井薬師駅近くに住んでいた染太郎サンは、その線路ギワにあるグランドへ我々の野球を観戦に来た事がある。その時も盗塁をさせる時にセカンドをシコメルからと云うとビックリして、あれうれしさん大神楽のゴンピン(言葉)、チエル(わかる)んですか、と怪訝な顔をしてたっけ。僕が昭和28年に学生漫才で芸能界へ足を踏み入れた時、鏡味小鉄(故人)師匠率いる曲芸の野球チームに入った事があって、その時にイン語を覚えた。この小鉄門下に少年時代の尾藤イサオが曲芸の修業をしていたのである。
染之助、染太郎の兄弟コンビで売った伝統芸も骨身を削る辛い修業に耐えて後を継ごうという者も現れない。悲しさを抑え線香を供えると墓石の下で染太郎サンの声。
いつもより余計に煙っていまーす!!
平成14年2月没。70歳。墓は新宿区山伏町の常敬寺に。