宗教画家として有名・ロマン主義の大画家 ウジェーヌ・ドラクロア

2014/06/09

青空うれしの墓を訪ねて3000キロ

パリのペール・ラシェーズ墓地はさながら美術館の様相を呈している。実際どの墓を見てもみな個性的で飽きないのだ。だから若い女性も楽しそうに語らいながら墓地を散策している。ここに紹介するのは見る人の情感をあおり感動を呼び起こすロマン主義の画家ドラクロア。このドラさん、1798年にパリ郊外で産声を上げた。お父っつぁんは外交官であり政治家でもあった。1824年ドラちゃん26才の時にギリシャ独立戦争を取材したのを描いた「キオス島の虐殺」を発表するやスゲー新人が出たと話題騒然。サロン側からは悪評を受けたというが、なあーに世の中の人がいいと言えばザッツOK。ドミニク・アングルという古典派のセンセはしかめっ面したが、こちとらロマン派の代表としてフランス画壇を二分したのである。


彼が33才の時に有名な七月革命が起こった。この時も戦場まで行って焼け落ちた建物、くすぶる樹林、死骸ゴロゴロの中を駈けずりまわってしっかり場面を脳裏に焼きつけてきて描き上げたのが「民衆を導く自由の女神」(1831)であった。この絵もヒットしてヨッ、ドラエモンかなんか言われてスターダムへのし上がった。ロマン主義運動の見事な開花である。


ドラクロアの作品にはキリストを扱ったモノが多い。「聖母の教育」(1852)のように美しく輝く風景描写も素晴らしいが「カルヴァリオの丘」はキリストの埋葬の場面を描いて荘厳で重厚な作品で、メッツ市立美術博物館でこの絵を見た時は、日頃がさつで下品なボクも思わず十字をきって心静かに眺めたものでして。詩人のボードレールも絶賛したこの絵を載せている本を漫談家のイエス玉川君に見せて、あんたもイエスと名乗っている以上こういう絵を鑑賞しなくてはいかんぜと云ったら、ボクは浄土宗ですから。じゃ何でバイブルを持って牧師のコスチューム着て舞台に出てくるの? するとイエス様はこう答えてくれました。「すべては食わんがためです。キリスト漫談のおかげで稼がせていただいているのでボクはその恩を忘れず週3回は食べていますよラーメンを」。アリャー……浄土宗のキリスト漫談だなんて今に地獄に落ちるよと云えば、さらに答えて曰く―この間、階段から落ちましたよ。じゃケガしたの? それがねえ、イテエ!と起き上がろうとしたらそこに500円玉が落ちていてネ、主は私を見捨てなかったんですね。…勝手にしやがれ!!


晩年のドラクロアはルーブル宮殿の「アポロンの間」の天井画を手がけ、さらにブルボン宮殿の図書室の装飾や、サン・シュルピース聖堂の壁画などの大きな仕事をやり遂げた。元来あまり身体は丈夫な方ではないが仕事を頼まれると我身いとわず没頭するタイプだったらしい。だから彼は「自分にはこの先400年までの仕事が残っている」と云って制作に力を入れていたという。いい言葉ですね。


この青空クンも云ってみたいね。この先500年も仕事がつかえているよと。ナヌ? この先5年が危ない? 口惜しいが当たってるかも…アーメン。