「冬ソナ」ブーム以前にブレイクした歌手 織井茂子さん

2014/06/09

青空うれしの墓を訪ねて3000キロ

今や韓流ブームでウチのカミさんも甲府に居る娘もヨン様以来韓国ドラマに夢中で、何と今まで食わなかったキムチやナルムを食っちゃったりして。


しかしよーく考えてみると「冬のソナタ」なんてズーッと以前日本でヒットしたドラマとよく似てるじゃん。ホレ、「愛染かつら」や「君の名は」がソレ。実際あの「君の名は」がラジオで放送されるや、その時間帯には銭湯の女湯はカラッポになったし、岸恵子の真知子が首に巻いたエリ巻きは「真知子巻き」として大流行したのである。


この主題歌「君の名は」と「黒百合の歌」を唄ったのが織井茂子さん。格調高い歌声は作曲者古関裕而センセもたいへん気に入ったとか。


数多くの軍歌を作った古関センセ。戦後何年もたって九州のある地方から電話がきて、「私たち元戦友が毎年集まって先生のお作りになった軍歌を合唱しております。今年はこの会を作って10年になるので是非先生をお呼びして歌おうじゃないかという事に……ついてはお幾らぐらい支払いをしたらいいのでしょうか」。「ハイ、私は100万円ほど頂いておりますが」。少々間があって、「実は90万円しか予算がございませんで」「アそうですか。でしたら90万円の方を頼んで下さい」。


いい放ったセンセも立派。ボクならプライドも何もなく二つ返事。でも一ぺんそんな事を言ってみたいネ。


ア、ところで織井さんは1926(大正15)年生まれで、何と童謡歌手でもありました。だいたい童謡歌手で大人になって成功した例はなく、安田章子の由紀さおりと増永丈夫の藤山一郎ぐらいしかいない。その織井さんは昭和22年にキングレコードから都能子の名で大人の歌手として再デビュー。そして昭和24年にコロムビアに移ってまた織井茂子に戻ったのである。


あれは昭和35年頃であったか。札幌へ向かっていた飛行機が乱気流でグラグラ。キャーッと織井さんがボクに抱きつき手を力一杯握る。そのうち少々揺れがおさまってきたら、ホレ胸がドキドキといいながら自分の胸にボクの手を持っていくのです。そのやわらかーな、チョー気持ちいい感触は今も忘れません。しかしその後に仕事で会うと、「この人あたしのオッパイさわってさ」とか「サワリ魔だから」ともちろん冗談ではありますが、言われ続けたのは、ひとえにボクの人格のなすところでありまして!


並木路子さんとトイレへ一緒に入ってお隣でチョメチョメしているアベックの様子をうかがったり、淡谷のり子さんとお風呂にご一緒して背中を流したり……。イヤ若き日のボクはそれなりにいい人生を送りましたのですねハイ。


塩まさるさんの元マネージャーであった八城幸吉氏から菊池章子さん、松島詩子さん、そして織井さんの墓が東京都の小平霊園にあると教えていただき行って来ました。冬枯れて墓地には枯れ葉が冷たく舞っていました。もうあの暖かいやわらかなお乳房はなく、冷たい石が立っているばかりでした。


霊園の入口近くで3人の女子高生が煙草を吸っていてお巡りさんに言われてましたよ、「君の名は?」って。


【写真】=東京・小平霊園に眠る織井茂子さんのお墓