山椒は小粒で大物浪曲家 三代目 玉川勝太郎

2014/06/09

青空うれしの墓を訪ねて3000キロ

“利根の川風袂に入れて月に竿さす…”

とはじまるあの「天保水滸伝」は二代目玉川勝太郎。三代目はもちろんお家芸の水滸伝もやったが「国定忠治」もの等を得意とした。この三代目に入門したのが牧師のコスチュームで特異なスタイルの漫談で売れたイエス玉川。玉川良一の紹介でその門を叩いたが出てきた本人を見てこれが今日から自分の兄弟子になる人?と思った。小さくて幼な顔の残ってる勝太郎さんを二十数年前に初めて見た人は、これが三代目とはすぐ判断出来なかったろう。これから浅草へ行く所だからついて来いと言われ、そこへ行って三代目に紹介されるものと思ったという。


ところがサテライトスタジオで歌の番組に着物に半纏をひっかけた先刻の小さい人が歌ってる。アレ? 襟の所に三代目勝太郎と名前が入っているぞ。アリャリャ、この人が本物の勝太郎だ! この勝太郎のマネージャーがかつては浪曲師であった寿々木米吉サン。ド近眼でラムネ瓶の底のような眼鏡をかけている。ある日浅草の仲見世商店街で買物。探す店がわからず立っていた女の人にその店を尋ねたが返事をしない。ヒトが丁寧に聞いてるのに返事ぐらいしろと怒鳴った。その店の主人が出てきて「あのう、それマネキン人形ですけど」。


雪の札幌へ飛んだ米吉サン、外へ出ようとしたらガツーンと何かに当たってひっくり返った。ガラスの大きなドアがまっすぐにこちら向きで開いてたのへまともに顔が当たりメガネは割れる、顔は切れて血が流れる。その頃ドアは人が近づくと手前に開いたのだ。ギャンギャンほえて怒り狂った米吉サンに職員平謝りでメガネの代金と治療代を支払った。それからすぐにドアが横へ開くよう改善されたのである。


一方、弟子入りしたイエス玉川(玉川勝美)は二代目勝太郎の世話係。下の始末もやらされこれも修業か、ウンがねえなと思った。ビニールで手をくるんで始末してたが間に合わない。とうとう手でクソをつかんで…。来る日も来る日もクソまみれ。師匠勝太郎とその仲間が麻雀してるその卓に、紙に包んだクソを叩きつけて「ヤメた! やってられるか!」。勝太郎が何をこのヤローと立ち上がった。仲間のひとりがマアマアと二人を分けた。もうひとりが立ち上がって「ちょうど時間となりました。まずはこれまで…」と浪曲調で収まったという。


二代目は身体が大きいので、イエスが抱えてやっと風呂へ入れていた。大きくて深い風呂だった。石鹸が無かったので持ってくるまでと、板を渡してオジイちゃんをそれに座らせておいた。戻って来たら姿が無い。アレ? ひとりで歩けたのかと探したが居ない、ア、もしかしてと慌てて風呂に戻ったら果たして大師匠中でグッタリ。危うく勝太郎が土左衛門になる所だった。


三代目が後を継いだのが東京オリンピックの年、昭和39年の時。昭和44年から始まった日本テレビの青島のワイドショー「人間シリーズ」のレギュラーで人気を得た。これに取り上げられるのは特別の人物で、ちなみに青空うれしサンは二度取り上げられている。ネ、大した番組でしょ。


墓は上野の寛永寺墓地で、写真はイエス様が撮影。