恥ずかしながらとテレた横井庄一さん

2014/06/09

青空うれしの墓を訪ねて3000キロ

ハワイもグアムも今は若いカップルや家族連れの人たちが心からエンジョイできるオアシスとなっている。グアムという島の名さえあまり人が知らなかった頃、終戦を知らずに27年もの永い間のジャングル逃亡生活からヒョッコリ日本に帰ってきたのが横井庄一さんであった。


昭和47年(1972)1月24日に島民に発見されて穴の中から出てきた横井さん。恥ずかしくて穴があったら入りたいとは云えないくらい永い穴居生活。そこではネズミは貴重なタンパク源で、可哀想だと思いながら食べていたという。その他ありとあらゆる小動物を食べ、草をむしばみながら生きながらえてきたのである。戦争が終わったということは大分たってからわかっていたが、出て行ったら殺されると思って恐くて出られなかったそうな。戦中は「生きて虜囚のはずかしめを受けず」と骨のズイまでたたき込まれていた兵隊サンとしては無理もない。


2月2日に羽田へ降り立って「恥ずかしながら戻って参りました」といった時の本当に恥ずかしそうな顔を今でもハッキリ覚えている。日本へ戻ってあまりの変わりように本人はビックリしたろうが、名古屋の実家や友人知人だって驚きますよ。何たって死んだ筈の人が元気で帰ってきたんだから。墓だって立派にできていて英霊になっていたんだから靖国神社も困っちゃうよ。


2万人もの人が玉砕したグアム島で、自分だけ生命を永らえたという後ろめたさに生涯さいなまれたという。


庄一さんは1915年、愛知県佐織村で生まれたが、生後間もなく両親が離婚。母親が再婚して富田村(現、名古屋市中川区)に移り住んだ。そして41年に赤紙がきて召集。ジャングルの中にかくれた時は戦友と2人であったがやがて亡くなり、ついに1人で耐えたという。いっそ自分も死のうと考えたこともあったらしいが、とにかく1人で生きぬいたということは素晴らしいことだ。青春時代を空しくジャングルの中でただ1人過ごした横井さんは8月13日にお見合いをした。その日から1カ月半ほどしてそのお見合い相手の美保子さんと結婚し失った青春を少し取り戻したのである。


質素な生活から人々は急激にゴージャスな生活を経験し気分がたるんどる! ということで、横井さんに講演を依頼して耐乏生活のオ話をしてもらうイベントが引きもきらない。自伝を執筆して刊行するやこれがベストセラー。耐乏生活評論家は多忙を極めた。そしてついには参議院選にも出馬したのだが、残念ながらこれは落選してしまう。しみじみいった言葉は「ジャングルにいた28年間は実に気楽だった。現地人とアメリカさんに気をつけていれば人に頼らんで苦労なかった」。本当ですね、選挙となると1人じゃできないし、やたらめたら気使って、その上、金も使ってね。


横井さんは晩年、病気がちになり大分苦しんだらしい。何しろ永いジャングル生活で無理があったのだろう。1985年胃ガンの手術をしたが、その後パーキンソン病にかかってしまう。そして97年9月22日、数奇な運命をたどった横井さんは逝った。魂は日本を離れ、輝く太陽と青い海原のグアムへ飛んで行ったのかも! 捧げ筒(つつ)!


写真は生きているのにつくられていた墓(名古屋市)。