2016/05/11
当社メールマガジン「いしぶみ」の読者の皆様を対象に、今年から毎月1回、【ワンクリックアンケート】と題して、ご質問させていただく企画をスタートしました。2016年4月の質問は下記のとおりです。
Q、「Amazonのお坊さん便 僧侶手配サービス」について、どう思いますか?
2016年4月1日~6日まで
(カッコ内は、4月4日午前9時の中間発表の数字)
【賛成】21.3%
【反対】32.8%
【どちらともいえない】45.9%
Amazonの「お坊さん便」は、株式会社みんれび(東京都新宿区)というインターネットメディア運営を事業内容とする会社の商品です。同社は僧侶の手配だけではなく、葬儀、墓石、仏壇、海洋散骨、宇宙葬などのサイトの企画・開発・運営もしています。
Amazonの「お坊さん便」のウェブサイトを見ると、カスタマーレビュー(閲覧者の意見や感想)が掲載されています。4月7日現在、134件の投稿があり、その評価は「とても気に入った」という星5つが72件で、半数を占めています。投稿内容は、仏教界に対する意見が多く、実際に同サービスを利用した方のコメントもありますので、お時間がある方は同ウェブサイトをご覧になってください。
墓石業界(石材店)としては同サービスを利用する必要がなくなるような取り組みを、仏教界(お寺)と一緒になって行なっていきたいものです。何よりも、日頃のお付き合いが大切でしょう。
Q、「Amazon のお坊さん便 僧侶手配サービス」について、ご自由にお書きください(一部省略)
【賛成】
◆僧侶の布教活動がきちんとできていないため、宗教離れが起きていると思う。また一部の僧侶が法外なお布施を要求する人もいると聞くことがある。僧侶の宅配は、檀家にはなりたくないが、とりあえずお経をあげてほしいと願う素直な家族(親族)の気持ちだと思う。僧侶を選ぶのも自由になりつつあるのではないか?
◆時代のニーズに合っていると思う。
◆できれば派遣される僧侶の方にはその際法話等していただき、より身近なものに供養やお墓がなればと思う。
◆仏教離れ(寺離れ)が進むなか、お坊さんを頼んで葬儀をすることは、いいことだと思う。
【反対】
◆楽しようとしているだけ。ただお寺の敷居が高いので相談しにくい現実と、金額の不明瞭さが重なっていると思う。間に石屋さんや葬儀屋さんが入ることができれば解消される問題。
◆葬儀価格の破壊から始まりここまで来たか。業界の不透明さに対する不満が宗教界にも及ぶことは、価値が認められなくなったということか。宗教界が反対意見を出す根拠が同じ生活上の問題であるなら、淘汰されるべき。より良い価値を提供する以外に生き残れない。
◆ご住職のことを軽くみているように感じる。派遣社員やアルバイト感覚で供養をお願いしたくないし、してもらいたくない。
◆ネットを利用した僧侶の手配というシステムは現代人にとって便利なモノであると思うが、料金を明示するのはあってはならないこと。これではまったくのビジネスである。ならば課税対象の見直しも図らなければならない。しかしニーズがあるということはそれが一般消費者、一般生活者の答えでもある。このような現状になった背景にあるお寺の在り方、僧侶の在り方を改めて鑑みることが、いまの仏教界全体の課題ではないだろうか。後手にまわっているのかもしれないが、早急に取り組むべき大きな問題であると思う。
◆人材派遣で依頼するものではないと思う。形だけ拝んでもらっても意味はないと感じる。
◆反対ではあるがこれを機会に仏教界にも、多少なりとも見直す気運が起きてくれればと思う。ネットの普及からか、最近の消費者には日本本来のいい意味(※次頁へ)での「曖昧さ」というものが無くなってきて、イエスかノー、0か1のように不明瞭な物を敬遠する傾向があると思う。当然、宗教活動はサービスではないと言うのはよくわかるが、お布施の金額はお気持ちでと言っておいて足りないとか言うなら、逆に最低相場のようなものを提示した方が親切と感じる人が増えていると思う。法要や戒名代というものが対価として妥当だと感じない部分に今回のAmazonのケースが生まれた要因があると思う。本来の宗教や寺院の役割(困った時の相談等)がなくなってきて、ただお金だけ受け取ったら「はい!サヨナラ」みたいな雰囲気が非常に嫌だというお話しをお客さんから伺ったことが多々ある。「家」制度が崩壊しつつある現代に、葬送のあり方が多種多様出てきているなかで、仏教界だけが昔のままでは今後さらに深刻な問題が増えると思う。葬儀の形態が一般葬から家族葬、直葬と変わり、墓石から樹木葬、散骨、ロッカー式と新しいスタイルが出てきているなかで、当然次に起こりうることは明白だったのに、それに対して手をこまねいてきた結果がこのようなスタイルを生み出したのではないか。このような状況を危惧されていた僧侶の方も沢山いらっしゃるのでしょうが、まだその危機意識が足りない人が多いのかなと思う。
◆「サービス」という言葉がなじまないと思う。
◆死への祈りへの文化を衰退させているのは、こういった安易で利便性を追った結果です! 倫理を考えず、何を想ってのお坊さん便でしょうか? このようなシステムをつくるAmazon側も、そこに便乗する企業やお坊様にも、ハッキリ言って怒りを感じます! 子どもたちの将来をそして未来を、もっと深く考えて欲しいです! 各宗派の総本山のお偉いさま! ブレーキをかけてやってください!!!
◆この問題は今の日本の国の象徴だと思う。少子高齢化であるがために起きた結果のことですね。寺院住職様のなかには御檀家さんが減り、仕事がないなかで良いことかもしれませんが、昔からの伝統ある御寺様は反対ですね。いずれにしても歴史のある仏教、遺産のような貴重な重さあることを宅配手配で終わる国にならないでいただきたい。言い方を変えれば、簡単に子供を生んでスグおろすみたいな感じです。もう少し古いこと、昔に返っても良いと思う。自分がいると言うことは、奇跡的なことだということがわかっていないね。何万年、何億年のような奇跡です。どちらかの親が居なければ、今ここには居ないのです。
【どちらともいえない】
◆宗教行為は基本的にお坊さんとの信頼関係のうえに成り立つものだが、最近はその信頼関係が薄れつつあるのが現状。こうしたサービスを必要としている人がいるのも事実であり、反対するならそれに代わる方法を提案すべきではないか。
◆どっちみち葬儀場でお寺さんの紹介をしてもらう施主もたくさん居りますので、 「Amazon のお坊さん便 僧侶手配サービス」を使ってやる方が経済的にも安上がりかな?って部分もある。
◆普段からお寺さんとの付き合いが希薄になっており、お寺さんも月参りなどのお布施が減ってきているのでしょうがないとは思う。
◆価格設定については妥当、且つ相場にあっていると思う。当店でご紹介する際も同じくらいの金額。安くもなく高くもない金額だと思う。実際、寺院の経営状態から考えると檀家が少ない、またはフリーな活動をしている寺院、収入が安定していない寺院については寺院を運営していくうえで非常に魅力的な事業と思う。寺院自体に付加価値が高い場合はお寺の規則での価格設定があり、「お布施はお気持ちで」とお茶を濁していた場合は厳しい現実でしょう。仏教寺院界で収入格差があることも事実ですから、一概に賛否を問うのは難しいです。これを機会に宗派を超えて仏教界がこれからを考えるいい機会ではないでしょうか。当店で紹介するお寺さんは、長年お付き合いのあるお寺さんなので、お客様も当店を信用またはお寺さんを信頼してご依頼を受けております。アマゾンさんがお寺さんとご依頼主との信用をどこまでフォローできるかも今後の課題でしょう。
◆Amazonがやったから非難も多かったが、もし宗教団体が同じことをやれば喜ばれただろう。
◆近隣のお坊さんを見て、信用出来る方がほとんどいません。私自身もそうならないように日々考え、仕事をしていきたいです。
◆お布施の本来の意義からすると反対だが、お布施の額を指定する寺院も散見されるなか、ダメなサービスとも言い難い。
◆寺院の経済レベルの格差がはげしく、檀家が少なく収入のあがらない寺院は増えていると聞くのでアマゾンの仕事を受ける僧侶様を一概に批判できないのではないか。
◆昨今の寺離れ、宗教離れと同じムーブメントで、こうなった大きな原因の一つは、仏教会が葬式仏教と呼ばれるような布教活動しかしてこなかったことだと思うので、仕方のないことだと思います。
◆宗教離れが進んでいることのあらわれでしょうか?
◆都合の悪いことは伏せておきたいようですが、これだけ情報が氾濫していると、宗教行為だけは別とはいかないのではないでしょうか。お墓もそうですが、経済格差(僧侶の格差も)への対応や価値を高めることをしないと今後も増えていくと思う。
◆インターネット時代で危惧されている人の付き合いの浅さが、このようなお坊さん便という商品扱いになってしまったのではないか。だが、この最初の手配をきっかけに、これから菩提寺としてお付き合いが始まれば、時代も変わるのではないだろうか。
◆楽な方に流れる、という意味では心配です。ただ、こうした案件の是非を問うということでは、真剣に論議する機会になるのではとも思う。
◆お寺と縁のない家が結構あるのではないでしょうか? 不幸にして葬儀を執り行わなければならない時等安心ではないでしょうか?
◆宗教行為を販売するという観点からの話ではないのではないでしょうか。
◆僧侶派遣をサービスと考えたとき、寺が檀家に寄り添っていれば必要のないサービス、仏教界が反対するだけで変わらなければ広がるサービスと思う。
※アンケートにご協力をいただきました皆様、誠にありがとうございました。