ドイツの古都に並ぶ友情の墓 ~ゲーテ
向かって左側がゲーテ、右隣がシラー。霊廟では石棺に入っていることが多く、木棺そのままというのは珍しい
「科学と芸術は全世界に属する。それらの前には国境など消え失せてしまう」。
愛をもって自然や人間を深く観察し、人生のどんな悲しみや苦痛も、美しい作品へ転化させたゲーテ。彼は23歳の時、舞踏会で出会った16歳の少女ロッテを熱烈に愛した。だが、彼女は友人の婚約者であることを知り、ゲーテは苦悩の果てにその土地を去る。その後も想いを断ち切れず、ロッテの結婚式が迫るとベッドで短剣を胸に当てるようなことをしていた。
そんな折、親友が人妻への片想いに悲嘆してピストル自殺してしまう。多感なゲーテは打ちのめされ、精神的危機を乗り越えるために自らが体験した悲恋を小説に昇華させ、2年後に『若きウェルテルの悩み』を出版した。
ウェルテルは善良で明るい青年だったが、婚約者のいる女性を愛したことから精神が崩壊し、銃口を自らに向ける。悲劇的な結末であったが当時の若者から熱狂的に支持され、国境を越えてヨーロッパ最大のベストセラーとなった。青い燕尾服と黄色のチョッキというウェルテルの服装でピストル自殺する若者が続出し、各地で発禁処分になったほどだ。
ゲーテいわく「この小説を若いときに読んで、これは自分のために書かれたのだと感じたことがないような人は不幸だ」。
20代後半からゲーテの興味は文学から科学へ移り、長らく創作活動から遠ざかっていたが、45歳の時に10歳年下の劇作家シラーから「あなたの本領は詩の世界にある」と説得され、創作意欲が再び燃え上がった。両者は互いに励まし合い名作を世に送ったが、シラーは肺病に冒され40代半ばで他界する。訃報を聞いたゲーテは「自分の存在の半分を失った」と倒れ込んだ。
それから四半世紀後、死の前年に『ファウスト』が完成し、「シラーと出会っていなかったら完成していなかった」と亡き友に感謝した。享年82。
僕が初めてワイマール(旧東独領)で墓を訪れたのは1989年の夏。ベルリンの壁が崩壊する直前で、国営旅行社で行き先の宿を手配しないと鉄道の切符も買えないという不自由さだった。霊廟の地下へ降りると、ゲーテとシラーの墓が並んでいた。
“墓”といっても木棺そのままの状態。驚くと共に故人の存在を強く感じ、エールを送り合った2人が並ぶ光景に胸が熱くなった。ゲーテの言葉「空気と光と、そして友達。これだけが残っていれば、気を落とすことはない」を思い出した。
この時の巡礼は南仏で荷物をすべて盗まれ写真が残っていない。まだネットのない時代、墓写真は僕にとって憧れのヒーローの生ブロマイドだ。どうしても写真が欲しくて1994年に再び墓所を訪れ愕然とした。霊廟保存工事の為、まさかの臨時閉館! 日本からどんなに遠いか分かっているのかドイツ政府よ…。
2005年、墓前にて彼らに感謝の言葉を伝えた後、3度目の正直でついに夢に見たブロマイドをこの手に…感無量!
ワイマール国民劇場の前に建つ、ゲーテとシラーの像。ゲーテは友の肩にそっと手を置いている
※『月刊石材』2012年12月号より転載
カジポン・マルコ・残月(ざんげつ)
1967年生。大阪出身。文芸研究家にして“墓マイラー”の名付け親。歴史上の偉人に感謝の言葉を伝えるため、30年にわたって巡礼を敢行。2,520人に墓参し、訪問国は五大陸100ヵ国に及ぶ。
巡礼した全ての墓を掲載したHP『文芸ジャンキー・パラダイス』
(
http://kajipon.com
) は累計6,500万件のアクセス数。
企画スポンサー:大阪石材工業株式会社
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