我が墓巡礼ライフの原点、すべてはこの人から始まった ~心優しき文豪ドストエフスキー
次から次へと巡礼者が絶えないドストエフスキーの墓(2005年、再巡礼時)
僕が“墓マイラー”になるきっかけとなった、生まれて初めて訪れた恩人の墓、ロシアの文豪ドストエフスキーです。
『罪と罰』『白痴』『カラマーゾフの兄弟』、これらの作品から伝わってくるのは、作者の圧倒的な優しさ。人間の残酷さや弱さを全面に出しながら、それでもなお人類を信じていたいという切実な叫び。常に弱者の立場になって世界を見つめ続ける彼の存在に、いったい何度救われたことか。
20歳の誕生日を迎える前に、なんとしてもドストエフスキーの墓前で「スパシーバ(ありがとう)」と一言伝えたくなり、しまいには、〝さもないと人生が一歩も前に進まない〟と思うようになりました。
ところが1987年当時は、まだ社会主義体制のソビエトであり、冷戦下ゆえ気軽に自由旅行できる状態ではありませんでした(現在でも事前に宿泊先を申告しないとビザが下りません)。そこで僕が考えたのは、墓地に近いホテルを使うソ連ツアーを選び、隙を見て巡礼に行くというものでした。
すると、なんと墓地の真正面に建つ“ホテル・モスクワ”を利用するツアーがあるではありませんか! レニングラード(現ペテルブルク)に着いた僕は、夕刻にチェック・インした後、夕食までの30分間の小休止の間にホテルを抜け出し、墓地へ駆け込みました。
カタコトのロシア語で門番に墓の場所を尋ね、ようやく墓前に立てた時のあの感動。土の上に手を置いた時、雷に打たれたように全身に電気が流れました。それは「彼は実在したんだ」という歓喜の電流でした。
教科書で見る彼はどこか架空の人物のようでリアリティがなかったのですが、墓に手を置くと、生きて死んだからここに墓があると、“あの、底なしに深い思いやりを持った人物は本当にいたんだ”と体感し、涙腺が決壊しました。その後、深呼吸して周囲を見渡すと、チャイコフスキーやムソルグスキーといった大作曲家たちも同じ墓地に眠っていました。
“白鳥の湖”など、美の極みともいえる音楽を生み出した人物も実在していた…、人間万歳!
墓地から出る時に僕の心をよぎったのは、「待てよ。じゃあ、シェイクスピアにはお礼を言いに行かなくていいのか? 夏目漱石は?手塚先生は? 他にもたくさん恩人がいるじゃないか!」。
それから僕の果てしない巡礼行脚が始まりました。
「僕、あなたに会って人生が変わったんですよ~ッ!」(2005年)
※『月刊石材』2011年1月号より転載
カジポン・マルコ・残月(ざんげつ) |