「神のごとき」と讃えられた男~ルネサンスの巨人ミケランジェロ
サンタ・クローチェ教会のミケランジェロの墓。遺言に従い、故人が心から愛していたフィレンツェに葬られた
「最大の危険は目標が高すぎて達成出来ないことではない。目標が低すぎてその低い目標を達成してしまうことだ」(ミケランジェロ)。
美術史上、最も偉大な芸術家の1人であるミケランジェロは、彫刻家、画家、建築家、詩人であり、そのどれもが傑作ぞろい。
1475年にフィレンツェ近郊で生まれ、10代前半から絵画や彫刻で頭角を現した。24歳のときに、十字架から降ろされたキリストの亡骸を抱える若きマリアの彫像『ピエタ』が完成すると、そのあまりの美しさに人々は「神のごときミケランジェロ」と感嘆し、名声は瞬く間に広がった。
26歳から4年の歳月をかけて彫り上げた『ダビデ』像は高さ4.3メートルにもなり、旧約聖書の英雄を内面の炎まで表現したこの作品を、人々は「古代ギリシャ・ローマ彫刻を超越した」と絶賛、フィレンツェのシンボルとして市庁舎の前に設置した。この大作に挑む際、ミケランジェロが習作を作らず、いきなりノミで刻み始めたことから、驚いた周囲の者が「なぜそれほど急ぐのか」と尋ねると、「石の中に埋もれている人が早く解放してくれ、早く自由にしてくれと、私に話しかけているのだ」と答えたという。
33歳からはローマ教皇の依頼でシスティナ礼拝堂の天井画(旧約聖書「創世記」の物語)に挑む。最初は5人の助手を使って制作していたが、完全主義者で短気な彼は助手を追い出し、ひとりで土を練り、壁を塗り、絵筆を握り続けた。高さ20メートルの足場で立ったままエビ反りになり、4年がかりで奥行き約40メートル、幅約14メートルの超大作を描ききった。登場人物は400人に達し、そのすべての人間に個性があった。
四半世紀後、61歳になった彼は同じ礼拝堂の壁に、今度は『最後の審判』(14メートル×12メートル)を描き始め、五年を費やして完成させた。中央に右手を掲げて審判を行うキリストを配置し、その左側には祝福され天国に昇る人々を、右側には罰せられ地獄に墜ちる人々を描いた。彼はこの作品に自画像として異形の“人間の皮”を「地獄側」に描き込んでいる。
晩年は建築家としてサン・ピエトロ大聖堂などの建築現場に立った。詩人としても多くの詩を残し、メディチ家の墓にそえた像と故人に次の四行詩を書いた。
「われ、石に眠るこそ、楽しみなり/破壊、恥辱の多き世に/見ず聞かざるは、幸せなり/されば目覚ますな、ひそかに語れ」
1564年、88歳のミケランジェロが死を前に呟いた言葉は、「私が残念に思うのは、やっと何でも上手く表現出来そうになってきたと感じるときに、死なねばならぬことだ」。現在、ガリレイやマキャベリの墓があるサンタ・クローチェ教会に眠っている。
僕らは日々の生活の中で、「人間の一生なんて短い、出来ることなどしれている」、そんな言葉を聞くことがある。でも、システィナ礼拝堂の天井画や『最後の審判』の前に初めて立ったとき、“人間はたった1人でこんなことが出来るのか! 4、5年でここまで描けるものなのか!”と、人間の可能性の極限を見た思いがした。
そしてサン・ピエトロ大聖堂の『ピエタ』の美しさに、キリスト教徒ではなくとも泣きそうに。無実で処刑されたキリストと、死んだ子を抱く親の気持ち。文化や言葉を超えて伝わる悲しみ。
石の彫刻は500年前の姿のまま今に残り、ルネサンス時代の人々と時間の壁を超えて感動を共有する。
サン・ピエトロ大聖堂の『ピエタ』。これほど精神的な深みを持った作品を24歳の青年が彫り上げたことに驚愕
※『月刊石材』2014年8月号より転載
カジポン・マルコ・残月(ざんげつ) |