100年後の石材店へ・・・(2)北條保さん
拝啓 この手紙を読んでいる石材店の方へ
いまは、東日本大震災より一周忌を迎えた2012年3月。
これが読まれているのは、未来の時代。 被災地の未来は、どうなっていますか?
この1年、多くの被災された地を、何度もまわりました。
そして、お墓100年プロジェクトで学んで、伝えたかったもの。
被災地での光景。
それは圧倒的なほど、果てしなくつづく泥色の世界のなかで、生きる世界。
そして、手を合わせる多くの人たち。
『尊き世界』。
もし、この被災地の方々からお墓を依頼されたら、きっと力一杯の墓石をつくるだろうと思います。
いつからだろう。
墓石がモノとして、扱いだされたのは・・・。
いつからだろう。
お墓に見栄えを重視するあまり、尊厳がなくなってしまったのは・・・。
いま、お墓の意味が見失っている姿が、多く見られます。
今回、お墓100年プロジェクトを通して、インド仏教の始まりから、日本の古神道を経て日本仏教となるまでを勉強してきました。
それは日本人が、古来から培ってきたお墓への本質でした。
信じること。 そして、想い 感じること。
昔むかし、鎌倉時代。その当時のお墓をみていて思うんです。
「みんな信じてたんだぁ。 石工は仏師であり、石塔を一生涯かけて造ってたんだぁ。」
現代は、経済が急速に発展し、便利さが追求され、合理化されてきた社会。
今では、捨てるほどモノが便利になり意義が軽くなった分、豊かさが見失われている。
お客さまの子孫も含めて、本当に善いお墓とはどういうものなのか?
石の質。石のデザイン。石の仕上げ。
そのようなものではなく、もっと本来 伝えていくものがありました。
これを読まれている未来の世界は、どのような墓石が造られていますか?
それは、石で造られていますか?
それは、美しいですか?
それは、尊いですか?
そして、その墓石には、お墓参りがされていますか?
今回、お墓100年プロジェクトで勉強したことも踏まえ、
どのような墓石をつくり、そして、どのように遺していくのかが見えてきました。
そして、それらに向き合う多くの仲間がいることもわかりました。
いま、僕たちが生きている社会は、時代の節目。
お墓に行ったとき、元気に笑う子ども達の声。そして、楽しげに水バケツを持ってくる姿。
花を供える母子。 みんなが、手を合わせている姿。
それらを見ていて想うんです。
「かならず、本来の意味も遺していける。
まず私たち石に携わる者たちから、お客さまに伝えていかないと・・・。」。
それは、めぐりめぐって、これを読まれている未来の世界にへと。
読まれている人たちからすると、わたしたちは、なにも出来なかったかも知れない。
でも、その意志を引き継いでくれたら、きっと本来の意味も遺せるはず。
敬具
投稿者:北條保さん(和泉石材)