楽聖 ベートーベン
かつてお笑いタレントのバラクーダが「正月は朝から酒が飲めるぞ 飲める飲める飲める飲める酒が飲めるぞ」(確かそんな歌詞だったと思うが)と陽気に歌って、一時的ではあったがヒットした。この歌の作曲が相棒の岡本八とコンビを組んでいたベートーベン鈴木である。勿体なくもかしこくもかの楽聖ベートーベンのお名前を拝借するなんて不届き千万立派な男よと感心。
昨年暮れ、テレビでベートーベンの第九を合唱している大勢の人が出演していて、その中にあの「大きな古時計」を歌って大ヒットの平井堅の姿もあった。日本中のあちこちでこの第九を歌う合唱団がいっぱいあるんだという事だ。いつだったかベートーベン物語をテレビでホンのちょっとだけ見た事があるが、その時の印象ではやたら我儘でカンシャク持ちの、妙に若いのに尊厳ぶったようにだけ見てとれた。ああいう人とお友達にはなりたくないなと正直そう思った。しかし考えてみれば大方の芸術家は我儘である。他人の意見や忠告にとらわれぬから独創性のある素晴らしい芸術が生まれるのであろう。ボクのような優しく他人の意見を尊重し、巨乳を崇拝する者には到底『芸術』などはあり得ない。
ベートーベンは美しいライン河畔ボン市の、貧しい家の屋根裏でテノール歌手の息子として生まれた。おやじはそれこそ「今日も朝から酒が飲めるぞ」の大酒飲みでどうしようもなかった。母が死んで酒飲みの親父も職を失ってしまい、残された弟達とこの父の面倒をみなくてはならないベートーベンの苦労は大変なものだったという。
彼が8才の時に初めて公開の場に出て演奏したら、大人顔負けの素晴らしい出来にヤンヤの喝采を受けた。
ベートーベンという名はフラマン語(そんな言葉あったのか?)で、ビート(beet)とホーヴェン(hoven)の合成で「蕪(かぶら)の庭」という意味だそうな。カブラで良かった。大根なら役者で失敗してたよ。
1782年13才の時には宮廷音楽のオルガン奏者として登場する。87年に幼友達のヴューゲラーと結婚した。ベートーベンは正規な中等教育を受けないのに、89年5月14日ケルン選挙候の大学である学生名簿に登録されているのをみても、並の人とは違ったのでしょう。才能はみるみる花を咲かせ、貴族や芸術愛好家のサロンでピアノを弾き名声を博した。そりゃ日本だってリヤカーを引き雑貨を売って歩いて苦労しながら今では大スーパーの社長さんになった人もいますよ。どっちが立派かというと……どっちも立派だよ。中途半端なボクが何を云っても始まらないが。
ベートーベン最初の公開大演奏会は1795年の3月29日、午後7時31分45秒。ブルク劇場で行われた作曲者自身によって行われるリヒノフスキー公の演奏会で、ハイドンの前でヨーイドンで演奏したのであります。
天才ベートーベン、彼をおそった最大の不幸は次第に聴覚を失ってしまった事。聞こえぬ耳でなお数々の名曲を作曲し続けました。そして「諸君喝采したまえ、喜劇は終わった」という言葉を残してあの世へ旅立ったのです。1827年3月26日激しい雷雨の中で。ウィーン中央公園墓地に墓がある。
写真:ウィーン中央公園墓地にあるベートーベンのお墓